※番外編ブログ※ story 2 『境界線』

※このブログは、「キセキの杜 ジョブステーション」で働く、生活支援員Nの物語です。

*はじめに*

「障害物」。

この言葉にはいろんな捉え方がある。
初めてこの言葉に触れたのは、恐らく大抵の方がそうであろう、運動会で良くある「障害物競走」だ。
コースを走ろうとすると、その走りを阻害するように置いてある「障害物」。
目的を成そうとする上で障害となる、行く手を阻む邪魔な物。
幼いながらに、何となくそういう刷り込みをされてきた。

「障害者」。

この言葉になると、さらに私達の捉え方は複雑になる。
たとえそこに国が定めた定義があるとしても、
先入観や価値観、あるいは立場や経験によって、その受け止め方は様々に変わる。

ただ、「障害」は何処に有るのか?という観点から考える時、

障害物競走の障害は、物として外にある。
障害者の障害は、症状として内にある。

そう考えるのが普通だろう。

ここに書き記すのは、あくまで私が福祉業界に入る前に抱いていた、考え方のひとつに過ぎない。
このブログに立ち寄って下さった方には、是非その事をふまえた上でお読み戴けると有り難いと思う。

* * *

story 2 『境界線』

私には身体障害者の友人が二人いる。

この1行を書くだけで、どうしてだろう、なんだか腑に落ちない違和感を感じる。

この世界は境界線だらけだ。地球、国、種族、私達は無数の境界線の中で生きている。

障害者と健常者の間に引かれた境界線。
そもそも、私はこの境界線をそれまでに感じた事がなかった。
友人達と私の間に境界線などなく、友人は友人、障害者として意識はしなかったから、
府に落ちない違和感が生じるのも当然かも知れない。

私の友人二人は、一人は占い師、もう一人は絵描きだ。
それぞれに、自身が持つ個性や能力を活かし、自分らしく生きている。
もちろん私と同じく、悩みや葛藤がある事は確かだし、私が持たない生きづらさも当然あるだろう。

二人とも壮絶なイジメを体験している。その体験から精神を病んだ事もある。
私には想像を絶する苦しみの中を生き抜いてきたはずだ。

ただ、そもそも、人の苦しみは、他人と比べられるものじゃない。
誰かが誰かに比べてより大変だというのは、見る人の主観で成り立っている。
五体不満足の人すべてが、五体満足な人より不幸かどうか。

私は二人に同情はせず、ただ理解をしたいと思って付き合ってきた。
そして私自身も、私という人間を理解してもらいたいと思った。
100%の相互理解は無理だと承知の上で、
それでも双方が理解し合いたいと思う時、そこに境界線はあるだろうか。

「障害」はその方が持っているのではなく、その方の外側にあると思っている。

車椅子の方が持つ障害は「動かない足」ではなく、車椅子でないと生活できない「環境」。
精神疾患の方が持つ障害は「心」ではなく、その心を蝕み、受け容れなかった「環境」。

「障害を持つ者」ではなく「障害になる物事と向き合う者」、
そう考えると、多かれ少なかれ、私も同じく、私には私の障害がある。

外側にある障害と向き合い、タフに生きる事は、万人にとっての共通項。
そう考えると、障害者と健常者、境界線はあってないようなものだと言えないだろうか。
そしてこの、タフに生きるスキルこそ、
すべての障害を克服する為に必要とされる能力じゃないだろうか。

自身が強くなることで、「環境を変える」もしくは「環境の受け止め方が変わる」。

社会から、いわゆる「障害者」と認定された方々にとって、このスキルを養うことは人一倍難しい。
だからこそ、境界線を越えた相互理解を軸に、サポートすることが大切なんじゃないだろうか。

私はずっとそう考えていた。

 

(story 3 『スタートライン』へ続く)

 

次回の更新予定は2022/1/31です!

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